人生感想文

10年も人生生きたんだからもういいでしょう!

人生感想文 1枚目

10年も!10年も既に生きたんですよ!


もういいじゃないですか!頑張らなくたって!


すごくないですか?!10年も生きたんですよ!!



そんな気持ちがふと湧いたので、ブログという名の感想文を書いていこうかなって思いました。



初めまして、田中太郎と申します。



これでも一応まだまだ若い方なんですよ。



バイト風情まっしぐら、ですが…(´・ω・`;)



特に事前に自己紹介とかはしないので、さっさと本文書きますね。





思い出は主に義務教育期間にあります。



学校はもちろん、お家のこともね。



どちらも、とても居心地が悪かったです。家に関しては今だってそう。



まぁまぁ、ゆっくり書いていきましょうか。



このブログに来てくれた方はどういう目的なのでしょう。



死にたい?



死ねない?



もしくはお菓子食べながらブログ探索?



登下校、通勤時間中の暇つぶし?



バイトやお仕事、学校のお昼休みの暇つぶし?




いろいろいるかと思います。





とりあえず時間をやろう!なんせ1枚目のこの感想文の投稿日は10月31日!お菓子やジュースを用意して、気楽になって読んでいってね。



(ちなみに私はお菓子なんでも好きですよ。トリックしないからトリート(?))



(好きなジュースはトマトジュースです。ほぼ毎日飲んでた。)



お菓子がないっていう方は気持ちを落ち着かせて。









|´-`)チラッ






準備はできましたかね…?


ではでは感想文1枚目、書いていきましょうか。




義務教育。これは小学校、中学校のことを指しますね。



私、田中太郎は小学1年生のとき、すごく泳げたんです。



水泳だけが取り柄の小学生でした。



スイミングスクールに通ってたのが原因ですね。



覚えが早かったみたいで、スイミングスクールのバッチテスト(クラス進級テストみたいな)はかなりの回数飛び級を繰り返してました。今でも自慢です( ˇωˇ )



でも、大会に出れるかも?!っていうところで辞めました。



そこまで求めてなかったんです。



そして、乗り換えるように習字を始めました。



習字は小学5年生で辞めたのですが、それはまた別の機会に書きますね。



習字も、小学1年生の時は飛び級が多かったです。



そんな『なんでもできる』小学1年生の田中太郎、人付き合いだけは苦手でした。



掃除時間に椅子を定位置に戻す時に、クラスメイトと椅子の取り合いになって負けてギャン泣きしたり…



隣の席の男の子にいたずらで、座るタイミングでよく椅子を引かれてそのまま地面に落ちて引かれた椅子に後頭部ぶつけてギャン泣きしたり…



(どっちかというと椅子運なさすぎない?????)




人付き合いも椅子付き合いも苦手でした!!



友達もなかなか出来ないまま、小学2年生になりました。



小学2年生から、田中太郎の義務教育が狂います。




小学2年生の時の担任の先生、やけに漢字の書き取りに厳しくて。



虫眼鏡?ルーぺ?のようなものを使って、漢字のトメ、ハネ、はらいを見られます。



その3つのひとつでもできてなければ、漢字が合っててもバツ印でした。



当時習字をやってて、実際そこまでそんなミスは出なかったのですが…



「がんばっておぼえたのに?」



「がんばってぜんぶかけたのに?」



「だめなの?」



「なんで?」



おまけにこの先生、相当怖くて…



あまり記憶が無いのですが、おそらく小2田中太郎のメンタルを崩壊させる何かがあったのでしょう。



小学2年生から、″不登校″というものが始まりました。




最初は「お腹が痛い」と言って初めて学校に行きたくなくてズル休みをしました。



2回目はお母さんが起こしに来ても、起こしに来たことをわかってても寝た振りを1時間しつづけてズル休みをしました。



まぁ、元気なくせに学校行かないのでお母さんも予想ついたんでしょう。



お母さんは私と違って半端ないほどポジティブで田中家のドンのような人です。



不登校なんて、理解するわけもありませんでした。



「いきたくない!」



「行きなさい!」



「いきたくない!!」



「給食費が無駄になるでしょ!!」



毎日毎日この繰り返しで、お母さんに引きずられて学校に連れていかれましたね…。



教室の前にまで連れていかれても行きたくなくて、ずっとお母さんにしがみついてました。



意地でも教室に入ろうとせず、行きたくないと泣いてる私を見た担任の先生から



「帰りたいなら、帰る理由をクラスのみんなに言ってから帰ってね」と。



そう言われたところまでしか、小学2年生の記憶は無いです。



その年の年末に担任の先生がインフルエンザになったと聞いた時はリアルにガッツポーズしたなぁ……っていうのはここだけの話です…(汗)




ほぼ小学2年生の授業をすっ飛ばした状態で進級し、小3デビューした私。



小3のときの担任の先生は、小学1年生のときの担任の先生と同じ人ですごく嬉しくて、小3のときはインフルエンザ以外ほぼ休んでなかったなぁ。



小3田中太郎は平和でした。とても。



「時間が戻せるならいつの時間に戻りたい?」という質問が来たら「小学校3年生の時」って胸張って言えます。



強いていえば、小3でそろばんを始めましたが先生が怖かったので5ヶ月で辞めましたね!(おい)





本格的に狂うのがここからですね。



小学校4年生で、不登校に戻ってしまいました。



この時の理由も担任の先生でしたね!ていうか小学校時代の不登校の理由はほぼ担任の先生でした!!!(大声)



この時が1番厄介だったと思います。



小学2年生のときの担任の先生とは別の方だったのですが、その方以上に厳しくて、体罰も普通でした。



お豆腐メンタル田中太郎、メンタル崩壊の危機を察知出来たので不登校は4月中旬から始まりました。



それでもお母さんに引きずられて学校に連れていかれるので、小4田中太郎は……




『脱走』しました。



『家出』もしました。



でもダメでした。




小学校の教職員の半分を小4田中の捜索にあてられたレベルです…(´・ω・`;)



今思うととても申し訳なかったですね…



実はこの時、学校だけじゃなく家にも居ずらくなりました。




お母さんが、毎週の夜飲みに出るようになったんです。


同じ年に両親は離婚しましたが(時期は間違ってる可能性がある)、実はこの離婚非常にややこしくて。

(ややこしい原因言ったら両親に身バレしちゃいそうなので書きません!ごめんね!)



飲みに出るようになったのも、ややこしい離婚状態と仕事のストレス、私の不登校のストレスが関係してたのでしょう。



ごめんね、お母さん。



でも離婚=父親がいない



お母さんが飲みに出てる夜は、朝方まで私ひとりでした。



コンビニご飯とお菓子を食べて、お風呂入って、テレビ見て、ガラケーでYouTube観て。



お母さんが帰ってくるのを待ってたんです。



お母さんが大好きだったんです。



お母さんと1秒でも長くお話したくて、深夜4時になってもがんばって起きて待ってました。




でも、お母さんはカラオケの個室に泊まって朝方7時くらいに帰ってくるか、泥酔して帰ってくるかでした。



ちゃんと深夜に酔わず帰ってきても、なんで寝てないの!!って怒られて部屋の扉を力強く閉められるだけ。



お母さんが泥酔して帰ってきた日は、そのままリビングの地面に寝っ転がって寝始めたお母さんを上手く転がして、お母さんの身長に合うように隣に敷いた座布団数枚の上に転がして、首が痛くないようにネックレスも取って、寒くないように毛布も掛けて。


メイクは当時よく分からなかったからそのままにしちゃってましたが。


この作業を終えた頃には空は明るくなろうとしてました。



その空の色を見てる時に思ったんです。



「どうしてお父さんはいなくなったの?」



「わたしが学校に行かないから?」



「わたしが学校に行けば、お父さんももどってくる?お母さんもまたいっしょにごはんたべてくれる?」



「ふつうの家族になるためには何を持てばいい?」



普通の家族になりたかった。



お母さんがいて、お父さんがいて、私がいる。



それだけでよかった。



お父さんは離婚前もあまり家にいなくて、風俗とか行ってたそうです。



風俗行きまくって借金もして。



そりゃ離婚だってしたくなるでしょう。



それでもね、今でも年に1度は会ってるんです。



ややこしい離婚のせいで。




それでもね、3人集まれるのがすごく嬉しくて。



お父さんとお母さんがお金の話でいつも喧嘩してるの、すごく怖かったけど。



何を持てば普通になれる?



何になればお父さんは戻ってきてくれる?



何を求めたらお母さんは一緒にいてくれる?




そんなことを考えてるうちに、お母さんは飲み屋で別の男の人と知り合って、その人の家に居候することになりました。



私も連れていかれたのですが、すごく怖くなりました。



はやく



はやくふつうにならないと



「成功した人が持ってるものを持てば幸運が舞い込んでくる」というよくある法則とか、友達の家に遊びに行って家族の様子を見るとか、学校の道徳や家庭科の授業は真剣に聞くとか、普通の家族になれるようにいろいろ頑張ったりもしました。



でも、当時の居候先の家は校区外どころか市外だったんです。



遊ぶ時間もなくて、学校が終わったらすぐお母さんとその家に帰ります。



居候していることは当然お父さんにも、学校にも内緒にしてました。



言うことを許されなかったんです。




それだけじゃない。



今までは私がお留守番してましたが、居候が始まってから私まで飲み屋街に連れ出されるようになりました。




見渡せば酔いつぶれた大人



飲みすぎて吐いてる大人



本当に気持ち悪くてたまらなかった。



普通じゃない。



私が求めてた普通じゃない。



こうなりたい訳じゃない。



こうなってほしい訳じゃない。



ここで気が付きました。




お母さんについていくことが間違いだと。



だから、お母さんについていくことをやめることにしました。



お母さんを待つことを辞めました。



一緒に飲み屋街に行くことをやめました。



怒られたりしたけどそれでも無理やり拒んだんです。



そして、大きく広く高く豪華なマンション最上階の居候先のお部屋でお留守番することが増えました。



でも、不思議と苦痛なんかじゃなくて。



むしろ気楽で。



この居候生活時代は、アニメにハマってて。



希望を願っていずれ呪いを振りまく女の子のアニメとか、希望を胸に入学したら擬似戦争することになったアニメとか。



まぁこのアニメとの出会いが今の田中太郎に繋がるのですが、それはまたいつか( ˇωˇ )



アニメってすごいですよね。現実を一旦忘れられるんです。その世界のことだけ考えられるんですよ!

(小4にしてアニメオタクになった田中)



でもね、その世界にいる時に居候先の男の人が部屋に入ってきて、膝枕だとかなんだとか言って私の太ももに頭を乗せて寝っ転がってきて私を現実に引きずり戻すのです。



本当に生きてるのが嫌になるほど、当時の環境が憎かったです。だってもうどうしようもないのですから。



何度地球外生命体の白い悪魔との出会いを望んだか。



『普通の家族になりたい』という願いを叶えて欲しかったなぁって。



学校に行っても、「周りの子は飲み屋街で知り合った得体の知れない男の家に住んでない」って考えるようになって結局不登校も進行しましたね。



家…ではないのですが、居候先に帰ってもあの男がいる。



酒癖は悪いし、夜な夜な私の寝室に来て体触るし、なんなんだろうと。



でもそれをお母さんは知った上で、居候を続けたんです。



そういえば、ここのマンション最上階だったな~と、何度かベランダの柵を飛び越えて10階から実際に飛び降りようともしてました。



でも死ぬより当時ベランダにいたヤモリの方が怖くて、そいつ見つけて以来ベランダに出れなくなりましたね…(お豆腐メンタル)


ベランダに出れないなら首吊ろう!



でも引っ掛ける場所も紐も縄もなくて、結局何も出来ずに今を生きてます。むしろよく我慢してくれたなと、昔の田中太郎を褒め倒したい。





こうして今、死ぬことを拒んでくれた過去の自分を褒めたいと思えるようになってます( ˇωˇ )



この居候地獄は中学1年まで続きました。



小学校5年生になってからは、担任の先生が厳しいけど信頼できる優しい女性の先生、私が今まで求めていた理想の先生だったので、度々行きたくないとはなりましたが無事不登校から抜けられました。ちなみにこの先生は小6の時も同じだったので、おかげで無事スムーズに2年間小学校生活を楽しめたのです!友達に会いに行くわけでも勉強しに行くわけでもなく、先生に会いに行くために学校に行ってました。




小学校5年生で習字を辞めた理由は、人間関係に疲れたからです。まぁそれに段の進級降級も無く止まってしまったので辞め時だなと思ったのもありますが…(´;ω;`)



小5、6年生の時に何も無かったわけじゃないですよ?



ひとつ年下の女の子に妙に好かれて、ストーカーされたり



「田中太郎の親は人を轢いた!」とわけわかめな嘘がクラスメイトによって広められたり



まぁ、そのくらいです。



その時にはもう自分の親なんて正直どうでもよかったので、親より自分の名誉の方が大事っていう思考が働いて、毎日宿題で出てる自学ノートに「(名指しで)名誉毀損されてます!」って書いて提出したら嘘を広めた人たち翌日校長室に呼ばれてたので楽しかったです!!!(大声)



…こんな感じで、中学校もポジティブが続けばよかったのですが。





さて、小学校6年間分の全てを書くとめちゃくちゃ長くなりますね(当たり前)



中学校3年間の方が苦痛でしかなかったので、中学校以降はまた次の機会にでも書きますね。



人生感想文2枚目は気が向いたら書きます。たぶん11月中には書き上げられるかと。







お菓子、食べ終わりました??



ちなみに私のオススメのお菓子はセブンイレブンさんの「ミルク饅頭」!



私は体調に気を使ってなきゃいけないのでお菓子はあまり食べられないのですが、ミルク饅頭はしっとりとした甘みがあってすごく美味しいんですよ\( ´ω` )/甘党の方には特にオススメです!



ミルク饅頭とキリンさんの「午後の紅茶 おいしい無糖」のセットが田中ガチ推しカップリングです!!!!!!(?)



お菓子食べてないよ!!っていう方は是非ミルク饅頭買ってみてください\( ´ω` )/



自殺はいけない、だとか言われる世の中ですけど


別に気にしなくてもいいと思いますよ。


大事なのは世の中の意見でも目線でもない、自分がこれからの未来どうありたいかです。


先に言っちゃうとあれなんですが、私実は中学校過程において1度児童相談所と話したことがあるんです。その話は今後の感想文で書きますね。(ちなみにやらかした訳じゃないです!)


その児童相談所と話してもなお、死のうと思ったことは何度もあります。死のうとしたことだってあります。未遂なんて当たり前ってくらい。


人と話したところで止められるだけです。



自分の未来は、自分で決めなきゃ。



親にこうしなさいとか、あの高校に行きなさいとか、大学には出ときなさいとか



そんなの、他人が決めることじゃないです。



「自殺」という決断も、ぶっちゃけ立派なことです。



だって自分の意思で未来を決めたんですから。



自分で未来を考えて決断できる力があるってすごい事なんですよ。



自殺を推奨してるわけじゃありません。



その決断力ひとつあるだけで、未来の可能性をひとつ、またひとつ増やしていけるんです。



この数年、数え切れないくらい自殺未遂を繰り返したくらい死にたくてたまらなかった、言うなら誰より負けないくらい死ぬ覚悟があったと言えるくらい死にたかった私が、今まだ生きてるんです。


「死んでしまった方がマシ」だなんてまだ考えたりもしますが…



行動に移す前に、自殺と決断できる力を使ってもうひとつの「生きる」未来を想像してみてください…


考えるだけでいいんですなんなら欲望と夢を詰め込んでばんばん妄想してください!!!!推しと結婚するとか!!!!次元違ってもいいんだよ!!!!



そこから現実に戻るのはとても苦痛かも知れませんが、きっと生きるという未来の可能性の糸になるかもしれません。


今すぐしなくても大丈夫です。


心と時間に余裕が出来たら、周りなんて気にしなくていい、貴方が主人公の未来のお話を妄想してみてください\( ´ω` )/




人生感想文とはなんでしょうか!!!!読み手に語りかける感想文ありますか!!!!!!


私、スピリチュアルはそんなに信用してませんよ!!!!占いとか神社とかは「へ~(∵)」くらいの感覚です!!!!信じてるけどがっつり信じてはないです(?)!!!!!自分の意思を信じて生きてるだけなんです!!!!信じてください!!!!(?)



さて、みなさん素敵なハロウィンをお過ごしください!!!!ここまで読んでくれてありがとうございました!!!!!また更新すると思うので気が向いたらまた読んでください!!!!



ミルク饅頭食べてね!!!!!